Profile
1990年ブラジルにて日系ブラジル人の家系に誕生。
3歳で日本に移住。15歳でダンサーの道を決心し、
2011年にHIPHOPダンスチーム"KING OF SWAG"初期メンバーとしてダンサー向けのワークショップやクラブやライブハウスでショー出演などで活躍し、ダンス界で名を広めた。
その後、数多くのアーティストのバックダンサーとしてツアーやライブ、MVに出演し、2016年よりソロで活動開始。
また、アーティストちゃんみな、MAZZEL、ONE N' ONLYなどの国内アーティストの楽曲の振付師、ライブ演出家として活躍。ダンサーとしてAI、DREAM COME TRUE、藤井風、Nissy、三浦大知など様々なアーティストのLIVEやMVに出演する経験を持つ。
ダンサーからライブ演出まで手がけるMiQaelのこれまでとこれから
インタビュワー:中里虎鉄
ダンサー、振付師、ライブ演出家など、ダンスを通してアーティストの楽曲やステージを拡張し続けるMiQael(ミカエウ)。
ちゃんみな、藤井風、lolなど、多くのアーティストと共に世界観を作り上げる彼は、アーティストの持つ世界観や想いと制作に関わるすべての人たちの力を繋ぎ合わせ、私たちファンや観客、そしてダンサーの記憶に残る音楽・ダンス体験を提供している。
そんなアーティストからもファンからも愛される、優しくすべての人を繋ぐMiQaelが現在に至るまで、どのような道を歩んできたのか、そしてこれから歩んでいく未来についてお話を伺った。
ー ダンスが自身を変えてくれた
Q 優しくもエネルギッシュなキャラクターで、アーティストや一緒に踊るメンバーからとても愛されているハッピーな印象のMiQaelさんが現在に至るまでを辿っていきたいのですが、幼少期はどんな子どもでしたか?
4人兄妹の3番目で、兄妹のなかで一番表に出るのが苦手でした。
人前に立つのが苦手でずっとお母さんの後ろに隠れていました。
当時はとことん自分に自信が無くて、コミュニケーションをとる前に色々考え込んでいたんだと思います。
特に小学校高学年頃からみんな男女で別れて遊ぶようになっていって、当時はそれがよくわからなくて、
女の子とどうコミュニケーションを取ればいいのか、男の子とどうコミュニティを作っていけばいいのかわからなかったんです。
そこから更に自分を引っ込めるようになった気がします。
Qそうした周りの環境の変化や、自分のなかで生まれた葛藤とどう折り合いをつけていきましたか?
結局答えは見つからなくて、学校に行かなくなっていきました。中学校は全然行ってなかったんですけど、中学3年生の頃にお兄ちゃんたちが通っていたフリースクールでダンスの授業があって。
僕もずっと家から出ていなかったから、出なきゃなと思っていたタイミングでそのダンスの授業に誘ってもらってハマっていったんです。たぶん外に出るきっかけが欲しかったんだろうな。
自分の世界で考える時間は十分すぎるくらいあったけど、アウトプットの仕方がわからなくて消化できていなかったんです。
Q引っ込み思案だったり、人とのコミュニケーションや関係の作り方にハードルを感じていたMiQaelさんは、ダンスを通してどのように変化していきましたか?
ダンスって言葉じゃなくて、踊ることで伝わるものがあると思っていて。相手の感じ方をある程度相手に委ねられる。それを受け取った相手が表現してきたものに対して、こっちも感じ取って返していく、そういうはっきりとしないコミュニケーションが当時は話すことよりもやりやすかったのかもしれないです。
自分が何かを提供して、それが育っていく感じがあるんですよね。今では言葉でコミュニケーションをすることもできるけど、当時はコミュニケーションの入口としてダンスっていうのが僕には合っていました。
Qコミュニケーションの入口として始めたダンスを生業にしていこうと決意したのはいつ頃ですか?
ダンスを始めたのが中学3年生の頃で、高校進学の話が出始めたタイミングで、高校には行かないでダンスをやろうって決めたんです。
それに家もそんなに裕福な環境じゃなかったから、ダンススクール通うためのお金も自分で稼がなきゃいけないと思って、アルバイトとダンスをひたすらにしていました。
ダンスを始めた頃は運動神経もリズム感もなかったけど、好きだったから努力することができたし、踊ること以外選択肢はなかったです。
Q15歳で自分のやりたいことや、これからのビジョンを立てることってすごく難しいと思うし、運動神経もリズム感もなかった状態でダンスを好きでい続けられた原動力ってなんだと思いますか?
最初はただ踊るのが好きだっただけだけど、ダンスに救われた体験があったから続けられたんだなって思います。
ダンスは練習したらその分踊れる事が増えてサボったらサボった分だけ返ってくる。そんな自分に対して周りにリアクションを貰えて、人との繋がりが増えていったんです。
そんな経験を経てだんだんと自分もダンスを通して誰かをいい方向に変えていきたいって思うようになっていったんです。それは今でも強く思っていることでもあります。
自身が救われた経験をもとに、これからの世代を育てていく
Q当時はロールモデルのような存在はいましたか?
最初はいなかったけど、18歳の頃にダンサーのRIEHATAさんと出会って、彼女のレッスンを受けたときに「これだ!」って衝撃を受けたのを覚えています。
当時から人に影響を与える力をめちゃくちゃ持ってる人で、それまで受けていた他のダンサーのレッスンを全部辞めてRIEHATAさんの教えているスタジオだけに通うようになりました。
彼女の存在や、彼女が教えてくれたダンスの影響が自分にとって大きくて。今までは自分のために踊っていた部分があったけど、彼女と出会ってからは、今まで自分がやってきたものをどう人に与えていくかっていうのを明確に考えるようになりました。
QMiQaelさんのダンサーとしてのキャリアがスタートしたのはいつ頃ですか?
20歳ぐらいでKING OF SWAGっていうダンスグループに誘われたぐらいからちゃんとキャリアが動き始めたなって思います。
そこからグループで活動するようになって、いろんなショーに出たり、レッスンを持つようになったりしましたね。
でも当時はダンスもストリートカルチャーだったので、メディアの仕事は全然なくて、ダンススタジオで教えるか、クラブで踊るのが基本でした。
Q今ではアーティストのバックダンサーをしたり、メディアでパフォーマンスをしたりしていると思うのですが、いつ頃から現在の活動が始まっていきましたか?
19歳のときに山崎育三郎さんのソロデビューコンサートで初めてバックダンサーのお仕事で踊らせて頂きました。
その後MINMIさんやAIさんのツアーに参加したりするようになったんです。
でも、それ以前にいろんなショーに出たり、コンテストで優勝もしていたので、自然な流れで少しずつアーティストさんやメディアともお仕事をするようになっていきました。
Qダンサーとしてのキャリアを積み上げながらも、現在は振付師、ダンス指導、ライブ演出など、ダンスを軸にしながら様々なアプローチで表現していると思います。それぞれどういう思いで始めることになったのでしょうか?
一番最初に始めたのがダンス指導です。
自分のセクシュアリティを24歳のときに受け入れられたんですけど、それからも自分の子どもを持てないということが大きな壁としてあって。
そんななかでダンスを教えていた生徒の存在がとても大きくて、下の世代を育てていくことをもっとやっていきたいって思うようになったんです。
それって自分のDNAじゃないですけど、考えていることを残す行為だと思っていて。それに自分の生徒たちが成長していく姿を見るのがすごく楽しいし、嬉しかったんです。
今でも自分がステップアップするときにはいつも生徒の存在が軸になっています。
そこから生徒がレッスンに通わなくてもいいレベルになってきたときに、かれらを囲い込んでレッスンに来させるよりも、自分がレベルアップしてかれらを振付師やダンサーとしてキャスティングできるようになれば、また違う形で一緒にダンスができるなっていうことを25歳のころに思ったんです。
そこからまずは自分が振り付けの仕事をしていく必要があると思い、振り付けの仕事をもらうようになっていきました。
その頃には生徒たちも18歳や19歳とかになっていたので、出演者としてキャスティングできるようになっていったのが20代後半ぐらいですね。
ライブ演出はダンス指導や振り付けよりも、自分が関わっていく人たちを広げたり、引っ張っていったりできる仕事だと思っていて。
自分のキャリアや生徒たちのキャリアをレベルアップさせていきたいと思っているなかで、ちゃんみなと出会ったんです。
最初はバックダンサーとしてキャスティングされて2年ぐらい一緒に活動していたんですけど、当初、ちゃんみなが演出やステージでのダンスの使い方が上手くまとまらなくて悩んでるのを感じていて、僕から「やらせてほしい」とラブコールを送りました。それをきっかけにライブ演出をするようになったんです。
QMiQaelさんの思いとタイミングが重なって今に至るんですね。
27歳のときに、「30歳になるまであと3年だから、20代のうちにできる挑戦や失敗をやっておこう」と思って、ノートにやりたいことを書き出したことがあって。
それを残りの3年でやってみて、うまくいかなかったものはやめればいいし、続けたいと思うことを軸に30代は頑張っていこうと決めたんです。
っていうのも、20代前半ではずっとグループで活動していたのもあって、いろんな挑戦ができなかったなと思っていて。KING OF SWAGのイメージもあったから、何かに挑戦して失敗することが許されなかったんですよね。
だからこそ残り3年で今まで許されなかった失敗を、自分のためにしようと決めました。ライブ演出はそのうちの一つであって、これからもっとやっていきたいと思うものなんです。
QMiQaelさんがライブ演出に携わる際に、ライブに関わるいろんな人たちとどのようなコミュニケーションを育んでいきたいと思っていますか?
このお仕事は、アーティストが自分のポテンシャルを最大限に活かせる環境を作る事だと思います。ライブ演出って通訳者みたいな感覚が自分にはあるんです。
アーティストさんが言う「可愛い」とダンサーが言う「可愛い」、照明さんが言う「可愛い」ってそれぞれ違うものだと思っていて。みんな自分のイメージで話しているものを具体的にどんなものなのか、言葉を変えながら引き出していったり伝えていったりと、イメージの統一と共有をするための潤滑剤みたいな感覚なんです。
もちろん、ライブ演出ってアーティストさんありきだから、本人が持っている良さや、伝えたいことを聞き取って、それが一番表現できるものを作るように意識しているのは前提ですが。
Q幼少期は言葉でコミュニケーションを取ることが苦手だったMiQaelさんが、今言葉を通してみんなの意思や表現を一つにしていくライブ演出という仕事をしているのは興味深い変化ですね。
たぶん人一倍言葉に対して慎重なんだと思います。だからこそ小さい頃は引っ込んじゃっていたけど、言葉って自分の思いを伝えるだけじゃなくて、みんなの思いを聞いて全体を動かす力も持っていると思うんです。
当時はそういう環境じゃなかったから、言葉に対して強く抵抗感があったけど、今は自分なりの言葉の使い方を得たし、それが必要な環境だからできているのかなとも思います。
QMiQaelさんが演出したライブに来た人にどんな影響を与えたいと思っていますか?
ライブに行く前と行った後では、その人の人生にライブに行ったという経験が加わった状態になるじゃないですか。
その変化に加えて、小さなことでもその人の人生にいい影響がプラスされたらいいなっていうのはすごく意識していて。「頑張ろう」とか「元気が出た」、「人にもっと優しくなろう」とか、そういうことで十分だと思っていて、その人の人生にいい変化が起きることを望んでいます。
それはライブ演出だけでなく、ダンスを教えているときの感覚ともすごく近いです。誰かにとって僕がどこかでパワーになってくれたらすごく嬉しいです。
Q最後に今後の展望について教えてください。
今の仕事がとても好きなんですよ。ライブ演出や振付を通して、より多くのファンの皆さんの目に触れてもらってアーティストの規模が大きくなっていく姿を見ていると親心っていうか、この場所をもっと楽しく素敵な空間にしたいと思っていて、ずっと続けたいです。
例えば、スタートを切ったばかりのアーティストと、そのときに伝えたいことが一番伝わる場所やイベントライブをする会場の提案をしたり、活動の方向性などを話し合ったりもしたいです!
「活躍の場を広げたい」「今いるファンを大事にする時間」などの思いを演出において明確なカタチで落とし込んでいけるなと思っています。 是非そんな時間や場所を一緒に作っていける方々とご一緒できることを楽しみにしています。

